学生時代に起業、成功を収めるものの突如、芸人を目指し、たけし軍団入り。「月収5万」挫折を経験し、次はなんと政界へ。異色の経歴を持つ吉田大作志免町議の素顔に迫る。
20代前半は清掃業をしながら、はちゃめちゃ。20代後半からたけし軍団。軍団を辞めた30代前半から新事業とその拡大。30代後半からボランティア。40代で出馬。そして今に至る。議会での一般質問の回数は新人ではダントツに多く、当選後もボランティア活動がおろそかになることはない。
<今でも続く殿との関係>
今年、7月上京し、1年半ぶりに北野氏に会った。
「頑張ってるか。これからどうしたいんだ?」、「上を目指したいです」。個室で交わされたやりとりだ。町議になって3年目。任期4年の折り返しを迎えた。今後は県議や国政などを視野に入れ、今を懸命にひた走る。
「俺のコネ、使うか?」ありがたい言葉をもらったが、「殿が自分のために誰かに頭を下げることになる。今は自分の力だけでやってみよう」と決めた。
<町議として目指すもの>
子どもが大好きなので、子どもに関わる仕事がしたい。まずは児童生徒の安全を守ること。町内にある通学路をすべて歩いてみた。停止線が消えている。横断歩道が必要なところ、危険なところなど調査しながら回った。環境問題にも興味があり、電気自動車の普及を目指している。福岡県糟屋郡にはひとつも電気自動車の充電所がない。志免町が先駆けて設置できるように進めている。また志免町では数年前予算の関係で、夏祭りが廃止になった。夏祭りが楽しみで盆踊りの練習していた人たちや毎年浴衣を新調してくれるおばあちゃんの声を聞き、再開しようと考えた。独自でボランティア団体を立ち上げ、募金を募り、働きかけた。最初は800人だった参加者は昨年3,000人に増えた。町が200万円の予算で行なっていたものを10万円ほどで運営できた。「やればできる」また自信が沸いてきた。
<カンボジアとの出会い>
「生きているうちにできるだけ多くの土地を訪れたい。」同じ志免町議の誘いでカンボジア視察ツアーに参加。そこに待っていたのは、衝撃的な体験の連続だった。内戦で親を亡くした子どもたちの集まる孤児院。同じく内戦や地雷による事故で被害を受けた方のための義足センター。巨大な湖に向かい、水上生活者の暮らしぶりを知る。
地雷撤去の現場にも向かった。悪路をジープに乗り、森の中を揺られていく。撤去作業者は酷暑のなか、完全防備で地雷探知機を操作する。偶然、1つの地雷が見つかり、爆破処理する。地雷は片手の手のひらに載るぐらい軽量で小型だったが、その威力はすさまじかった。20~30メートル離れたところで座っていたが、体が浮くほどの衝撃を受けた。「あの体験は一生忘れない。ひとつひとつが強烈過ぎて、今も鮮明に覚えている。あの体験をこれからの人生に活かしていきたい」
<カンボジアツアーを通して>
カンボジアの都市と志免町で姉妹都市提携を結ぼうと考えている。「カンボジアと日本の子どもが交流できる活動を広げたい。カンボジアの子どもたちに日本を知ってもらい、将来の可能性を広げてほしい。また日本から子どもを送り、日本で生活することがどれほど恵まれたものなのかを実感してほしい」今後、議会で提案する予定だ。
【取材メモ】
「過去を振り返ってみて、いつも楽しかった。給料5万円のときは苦しかったが、楽しかった。それは仲間がいたから」と笑顔で語る吉田議員。激動の道を歩んできた。幾多の苦難を乗り切ってきた。それを可能にしたのは、まさに吉田議員の実行力である。そして、その実行力こそがこれからの政治に必要なものではないだろうか。
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